2010年1月21日木曜日

中川昭一氏が伝えたかったこと。

右サイドに動画を貼り付けた。

『中川昭一氏が伝えたかったこと。』

貼ってある動画は「にこにこ動画」という、視聴者のコメントが
画面に流れることで人気を得たサイトのものである。
コメントが邪魔なら、動画枠内のスピーカーマークの横の
吹き出しのようなマークをクリックすればコメントは消えて、
動画だけを視聴できます。
また再生当初、画面下1/6程度の部分に広告がでますが、
その広告の右上隅の x をクリックすれば広告は引っ込みます。


自分は最初、これを見た時におもわず涙した。

口惜しかったと思う。
心残りもあったと思う。

多くの人がこの動画を通じて、中川氏に語りかける。
早すぎた死、そして民主党のような売国政権を誕生させ、
民主党が日本国民の為の政治をしないことが分かっていたのに、
力になれなかった自分たちの不甲斐なさ、そして真っ当な
国民として、中川氏を守ってあげられなかったことに対するお詫び、
数々の『ごめんなさい、ごめんなさい』そして、『貴方の意思は受け継ぐ』、
『日本はなぜこんな大切な人を守ってあげられなかったのか。』、
こんなコメントが次々と流れてゆく。

中川昭一氏は確かに酒についての失敗が数々あった。
それを突かれて落選、そしてまた酒によって死に至ったわけだが、
酒を飲んでしまったのは、おそらく相当、日常的に朝鮮筋やら
左翼筋からの圧力が掛っていたはずで、余程の精神力の
持ち主でなければ、今の日本は保守を貫けないという異常事態に
なってしまっているからであって、中川氏自身、表向きには
売国奴たちが仕掛ける数々の謀略を払いのけ、
国を守ろうとしていた強い人だったんだろうけど、
内面はきっと心根の優しい人で、気が弱い一面があったのだろう。

中川氏は常に保守の立場を貫き、可哀想だとか、ちょっとぐらい
いいじゃないかとか、人権とか、差別とか、そういう人情的な、
或いは人道的な言葉をずるく、そして時には脅すように使って、
日本にタカる朝鮮人やら左翼の性質とやり口を見抜いており、
情に流されることなく、常に毅然した態度で基本を守り、国を守った、
まさしく国士と言える方だと思う。
我々日本国民は、もう少し左翼やら朝鮮人のずる賢さを認識し、
そのやり方を分かった上で、冷静な目で判断できる能力を身につけ、
中川氏のような日本の宝というべき人材を守ってあげられないような
国ではなく、国民がしっかりと真実を見極め、国士と言える立派な人材を
守ってあげられるような国に戻さないといけないと強く思う。

中川氏が残した業績は大きく、中でも破綻しそうな韓国からの
二国間融資を毅然として断り、IMF経由にし、日本を罵倒しながら
日本にたかる朝鮮人の要求を撥ねつけたことは、本当に意義が
あったものと思う。
なぜなら韓国に金を貸しても、またまた戦後の賠償とか言い出して、
返済に応じない可能性があり、また国内でも民主党のような朝鮮人の
手を借りている政党やら左翼の人間たちが同じようなことを言いだして
テレビや新聞を使って世論操作を実施し、結局、貸す金は我々の税金だが、
それをそっくり差しだすようなことになると、多くの人が指摘していたからだ。
それ以外にも、与えられた役職に応じ、様々な場面で、
活躍をされていた。

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・農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に
輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。

・財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、
韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。

・政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を
断固として撥ね付けていた。

・拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、
拉致議連の会長もつとめた。

・経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した
「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。

・毎年靖国神社に参拝することも欠かさなかった。

・非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について
繰り返し“論議すべし”と言及した。

・日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)
デモで 騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では
生徒たちに先生と 呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、
その活動を強く批判していた。

・官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた
1993年の 「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの
考えを示した。

・中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を
促進するための 議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の
旗揚げに貢献した。

・氏の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま
読んでくれない、 扱いにくい大臣だったと評価されていた。

・郵政解散後の造反組リーダーであった平沼赳夫とは銀行員時代から
兄弟のような間柄で、郵政民営化には賛成ながらも、造反組には
半ば同情的だった。

・政界きっての親台派として知られている。
農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が
寄せられた。 台湾メディアは常に同情的であった。

・2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を
設立するにあたって のまとめ役となった。
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中川さん、本当にありがとうございました。
俺達はあなたのことを決して忘れない。
どうか、左翼と朝鮮人に乗っ取られた日本の報道・放送局の
ネガティブキャンペーンを容易に信じ、雰囲気に流され、
結果的にあなたを裏切った国民を恨まないでください。
日本は強力な総理大臣候補を失ってしまった。
日本にとっては本当に大きな痛手です。
二度とあなたのような悲劇的な人を出さないように、
あなたの確固たる保守の意思を我々はしっかりと受け継ぎ、
あなたが愛してやまなかった「日本」という国を、
これからはみんなで守っていきたいと思います。

私は折に触れて、あなたの動画を見、あなたを思い出し、
あなたの信念に常に触れるようにします。
あなたが逝った後、多くの人間がいわば「中川チルドレン」となり、
あなたの意思を継ぎました。
あなたは多くの人間の心のうちに生き続けています。
あなたの戦いは終わりました。
どうぞ、この日本が真っ当な国になるまで、
私達と日本を上から見守っていてください。
これからは私達があなたに代わって頑張ります。
本当にありがとうございました。